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教会長挨拶

皆様、初めまして。念願のホームページを開設させて頂きました。

開設にあたり、ノット㈱ 取締役社長 岡田 祐様に御指導・御協力を賜りました事、心より感謝申し上げます。

 

このウェブサイトでは、「宗教とは何か?」「なぜ信仰が必要か?」などの疑問について分かり易く解説させて頂き、また、当大加教会での直近の教えや、行事予定などを交えて掲載しており、皆様の人生に取りまして、よりお幸せに歩んで頂く為の一助になれば幸いと存じます。

 

さて、人生の様々の出来事と云うものは、丁度、一枚の紙の裏表のようなものです。それを、良い事だけ欲しい、嫌な事は欲しくないと思っても、「禍福は糾える縄の如し」で良き事も、悪しき事も起こって来るのが人生です。紙も裏表一体で、離す事は出来ません。

そこでこんな言葉があります。

良い事、嬉しい事の中に、後々悪しき種となる事あり

嫌な事、悪しき事の中に、後々良き種になる事もあり

祈りによって、全て良き御縁に導かれよう!

「良い事、嬉しい事の中に、後々悪しき種となる事あり」とは例えば、親が亡くなり、莫大な財産の相続を受けたような時、それからは、仕事を辞め、働かなくなり、お金を湯水のように使い、お金に縛られ、自分の事だけしか考えられなくなる人がいるとします。

親からの財産を頂く=良い事ですが、この人にとっては、悪縁です。

活用方法が間違っています。

なぜなら、裕福・貧乏に関わらず、人として神様から命を頂いたからには、一生かかってその恩返しをしなければならないからです。それは人様や社会に、何らかの形で、自分の身を粉にして働く事(傍ハタを楽にしてあげる)、貢献する事が人としての使命だからです。

 

「嫌な事、悪しき事の中に、後々良き種になる事もあり」とは、例えば、私事ですが、由緒沿革にも述べておりますように、私が5歳の時に結核性カリエスに罹り、医者からは見放されたのですが、母が風の便りに、治して下さる先生がおられると聞き、施術(御加持)を受け、祈り続けましたら痛みは無くなり、病気は完治しました。当時、母親としましては、子供(私)が不治の病に罹る事は、嫌な事、悪い事です。しかし、その病の御蔭で、母を始め、私や、敏子先生(妻)、副教会長(全道先生)がこの教えの道へと導かれ、今、多くの信者様方とも御縁ができた事は、本当に良き種であったと言えます。これを善知識と言います。

 

そこで大事な事は「良い事、嬉しい事、嫌な事、悪しき事」全て、お祈りと聞法によって良き御縁に導かれ、良き種になるよう勤めなければなりません。

神様への御願いだけでは片手落ちです。

良き御縁を頂く為に、自身の器を大にする事(人格の向上)も必要です。

更には、自分の思い・希望・願望が、明後日の方向を向いていては、良き御縁に繋がりません。

聞法(真理・摂理に叶った 当たり前の事を学び実践する事)が必要です。

〈毎月の月次感謝祭や、1日・15日に教えを発信しております。〉

 

“まことの信仰とは自分の思いが、思い通りに叶うのではなく、幸せ(喜び)に向かうことである”を心して頂き、「いつも神様と一緒」との思いをお持ちになり、心身共に充実した素晴らしい人生になさって下さい。

 

宗教法人 神道大加教会本部
代表役員 教会長 細田 文保

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