参拝を
することの
大切さ
そもそも「神様とは何?」「何故、参拝をするのか?」という疑問に行き着くと思います。
まず、第一に「神様」について知らなくては始まりませんね!!
神様とは何でしょうか?「有形・無形?」「近くにいるの?」「目に見えるの?」素朴な疑問がいろいろと湧いてくるでしょう!!
●「神様」について・・・
例えば、皆様もご存じの様に、私たち人間は、この世に生れた時から、心臓を始め様々な臓器が意識をしなくても死ぬまで動き続けてくれています。
また、病気をしても、怪我をしても治して下さる自然治癒力・自己免疫力という力を頂いているお陰で生きてゆけます。
これは、いかに医学の粋を尽くしても解明できない不思議なメカニズムであります。
また目を外に向けてみた時、この地球が太陽の周りを自転しながら公転し、この星に適度な太陽光・空気・水を与えられ、絶妙な太陽の引力で引っ張ってもらっています。
この類い稀なる地球という環境に私たちは一人の人間として生命を与えられ、また動物・植物など森羅万象ありとあらゆるものが生を受け生きております。
これらの事も、いかに科学の粋を尽くしても解明・到達する事はできません!!
これらの「力」の恩恵を頂けているからこそ、私たちは生きていけるのです。
つまり、「神様」とは・・・
この宇宙を動かし、「ありとあらゆるものに働く、目には見えない大きな力」の事なのです。
※古事記などでは「太陽=天照大御神」「月=月読尊」など、擬人化して説明をしております。
●「参拝する事の大切さ」について・・・
呼び方はどうあれ、神様を信じる、信じないに関わらず、こうした大きな力が自分の身の回りで働いており、日々その力をいただいている事は厳然たる事実なのです!!
「自分の力で、何でもやっている・成し遂げている」という方もおられると思いますが、そもそも命があること自体が奇跡であり、根本的に自分一人で成しえている事はひとつも無いのです。※太陽が無かったら?
この、「あたりまえ」という認識になってしまっている事々は、「あたりまえではない」のです!!
この事を大前提に理解し考えれば、自ずと「神様」=「目には見えない大きな力」の働きを頂いている事に対して、感謝を表す為に「手を合わせる・参拝をする」という事の大切さが、お分かりいただける筈です。
年の初めのお正月には、近所の神社へ初詣に行かれる方も多いと思いますが、お正月で言えば「今年も安泰に進めますように」「新年を迎えさせていただきました、ありがとうございます」などの参拝が多いのではないでしょうか?
年に一回、年の初めと暮れに参拝をする、という方もおられます・・・では、一年は何日あるでしょうか?
毎日、太陽を始めとして、人から・物からの、いろいろな恩恵をいただいているのですけどね・・・
感謝を表すことができるのは、地球上で人間だけです。
考えてみると、私たちは毎日いろいろなお蔭を頂いているのですから、それらの「頂いているお蔭」に対して感謝を表す心・感謝を感じる心を持つことが大切なのです。
あたりまえの物事が、あたりまえでないという事を忘れない為に、神様の前に詣で、お参りをして感謝を表すのです。
●祈願(願い事)をするとは・・・
先ほどは「感謝のお参り」について説明をしましたが、つぎは「祈願(願い事)」のお参りについてです。
未来は誰にもわかりません!!
この先、自分の身に何が起こってくるか分からないのが、この世の真理です!!
マイナスな事を考え出すと、不安に思う(天災・疫病など)事は山のように出てくるものです。
また、不安に思っていた事が無事に解決したとしても、次なる不安事は必ず湧いてきます。
不思議な事に、安定し過ぎて・幸福過ぎて、それが怖いという方もおられるものです。
多少なりとも未来の予測や危険予防対策はできるかもしれませんが、完全に回避する事は困難です。
「人事を尽くし念じ尽くして天命を待つ」
自らが出来得る限りの努力は必要です。
しかし、その先(未来対して)人にできるのは「祈願(お祈り)」しかできないのです。
昔も今も人間の本質は変わっていません、「死」というものがある以上・人との関わり合いがある以上、不安はでてくるのです。
この理を知って、精一杯の努力はもちろん、不安の芽を少しでも減らして行く為に、神様に詣でる事で、お任せする心を培い、手を合わせ「祈願(お祈り)」「安泰を願う祈願」という行為「参拝」が存在しているのです。